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トレーナーズ・バイブル

 

 

 

アスレティックトレーナーを志す者、一度は手に取るトレーナーのバイブルと呼ばれている“Principles of ATHLETIC TRAINING”という重く分厚い教科書がある。米国では全てのトレーナーはこの本を教科書(バイブル)として大学でスポーツ医学を学んだと言っても過言ではない。国家試験ではみんなこの本を隅から隅まで勉強して挑む。著者は業界では有名な故ダニエル・アナハイム教授であり、私が卒業したカリフォルニア州立大学ロングビーチ校のアスレティックトレーニング学部長でもあった。それゆえロングビーチ校は全米に於けるスポーツ医学のリーディング校であり、また留学前に通っていた東京衛生学園とは姉妹校としても提携しており、1988年の夏に初めて渡米した際に視察に行った大学であった。

 

 

 

今思うと遠い前世のような気もするが自分が留学した頃、アメリカはスポーツ医学先進国であり日本はその点で後進国であった。日本ではペップトークでも知られている師匠の岩崎由純氏はじめ数えるほどしかトレーナーというのは存在しなかった。アメリカは日本が終戦から立ち直る時には既にアメリカンフットボール界などでアスレティックトレーナーが活躍していた。ちなみに日本で学生の頃は練習中に気合いを入れる為か定かでないが水分摂取が禁じられていた。今では考えられない事だが実際自分がサッカー部だった時は絶対水を飲ませてもらえなかったことを覚えている。それくらい日本のスポーツ医学界は30年以上アメリカに遅れをとっていた。

 

 

 

東京衛生学園のアスレティックトレーナー科で学び、同時に岩崎先生の弟子としてNEC女子バレー部でトレーナー活動をしており、テーピングや基本的な知識を持って留学したが本場の専門分野の学びは言語のハンデもあってそう簡単ではなかったというかかなりの高レベルだった。クラスメートと一緒に夜遅くまで図書館で勉強していたのをよく覚えている。講義を聴きながらノートをしっかり取ることが苦手だったので授業後に教授のオフィスへ行き、色々質問させてもらった。視察に行った時にお会いしたアナハイム教授は留学生として戻ってきた私を覚えていてくれて特別に可愛がってくれた。

 

 

 

 

 

 

1992年、その頃ちょうどアナハイム教授は“Principles of ATHLETIC TRAINING”の執筆中であり、学生の私にも協力してほしいということで微力ながらお手伝いさせて頂いた。本の内容では学生からみてこれはどう思うかとか、写真撮影(写真上)も含めて朝早くアスリートが来る前に大学トレーニングルームでミーティングなどを重ねた。自分がトレーナーになる為に留学した大学で使う教科書作成に協力出来るというありがたい話だけでなく、日本にいた際には岩崎先生の弟子としてこの教科書の日本版(写真下)の簡単な翻訳のお手伝いなどしていたこともあり、再度原本の新刊版までお手伝いできるなどと今振り返ってみると非常に大きなご縁を頂いた。

 

 

 

 

 

 

もうあれから30年以上経つがアナハイム教授が日本から初めての留学生であった自分によく言っていたことがある。ここで学んだことは自分だけの知識でなく、トレーナーを志す次世代にしっかり伝えていって欲しいということだ。そんな思いもあって当時の大学ヘッドトレーナーの故ダン・ベイリー氏と始めた米国海外スポーツ医学研修も来年で30周年となる。多くの学校の研修、講演、そしてセミナーと延べ一万人近くの学生を指導してきてこのコロナ禍では2年ほど停滞しているがまた再開できる日を心待ちにしている。来年からは学校だけでなく一般対象の海外スポーツ医学研修も予定している。多くの先輩方から渡されたバトンを後進にしっかり渡す仕事も自分のライフワークだと信じている。

 

 

 

 

 

 

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