料理人は美味い料理を作りたい、格闘家は強くなりたい、そして鍼灸師は上手くなりたい。
疾患を治せる治療家を目指すのはエキスパートとして当然の事である。
何年もやってると自分の能力と面と向かって、真摯に向き合う時が来る。というのは鍼灸の技というのはある日突然に進境を表す事がある。
もちろんそこに行くまで長い鍛錬が必要にはなって来るが。
要するに何かを修練する人間には、その課程で悟達のピークが幾度か訪れる。
素質のある者なら2年なり3年なり、ある程度の期間修練を積むと非常に上手くなる時期が来る。
だがそれはたまたまその人間の内部に眠る素質が偶然に眼醒めただけで不安定な状態に過ぎない。
さらにその時期は長くは続かない。自分の技がどのような疾患を相手にしても面白い程決まっていたのに、ふとしたきっかけで疑念が起こって来て、他の事を試してみたりしているうちに元の得意な技に戻ってもいつの間にかそれも平凡な技になっていたりして、前の様にやろうと思って記憶を辿ったり色々やってもかつてのキレが夢の様に消え去っている。
一時の高揚は去り、たちまち元通りになる。
今まで決まっていた技が冴えなくなり、その焦りとジレンマに陥り、長い暗いトンネルを1人で這うような陥没の日々が続く。
そしてそこからいつ出られるかもわからず、襲って来る憂鬱や患者との信頼関係、また結果を残せない現実と自分のみが知っている潜在能力の狭間での葛藤が始まる。
そこで諦めればそれまでだし、そこから這い出して新たな光を見いだすのもこれまた技を使うその人間の器量となる。
患者さんへの申し訳なさを忍び、絶望感に堪え、試行錯誤を繰り返してまた突然何かのきっかけで技の冴えが戻って来る。
そしてその高揚感は以前に増して大きくなり、、、そしてまた夢の様に消え去る。
夢の様に消え去った後でももちろんゼロに戻る事はない。
だが自転車やスキーの様に一度出来たらほぼ一生忘れないというものでもない。
それは指先の感覚も頭の記憶も何も、相手(患者)が千差万別の人間だからかも知れない。
上手い時もあるし、そうでない時も多いし、いきなり電話が鳴り続き新患が増える時もあるし、その逆で暇な時もよくあった。
特にこの仕事は1人の世界が多いので自分の凝り固まった世界に陥りやすい。
そんな時には師匠、先輩方の仕事ぶりを見せて頂いたり、セミナーに参加してモーティベーションを上げて新しい技を身に付けてみたり、仕事仲間と飲みながら、ゆるい立ち位置からも技に対して意見交換したり、色々試してみる。
それでダメな時はゆっくりそのスランプに浸かるしかない。患者の笑顔も見れないのでかなり落ち込む。でもそれでも自分を信じて精進し続けているとまた世界がバラ色に変わるような患者の笑顔に会える。
やっぱりこの仕事、自分を信じないと技も冴えないし、効きも良くない。スランプの時はその自分を信じるという事さえが困難な事となる。ただこの頃は調子が悪くとも平均点はなんとか高い状態を保てる様になっては来ている。
絶好調の時はいつでもどこでも少ない鍼で即効性&持続性を保てる理想の治療が出来ている。アドバンスコースでは先人の技を自分なりに咀嚼し、完全に自分の物にした上で自分の感覚と認識の元、みんなにわかりやすく伝えている。
だから丸暗記、丸伝えではない。そうでないと技にキレは出てこない。もちろん先人も越えられない。自信を持って教えるという事はそう言う事で自分の中では調子を保つ大事な要素となる。
以前お話ししたかも知れないが父の友人で東京の大学でレスリングを教えていたBさんから聞いた話しだが自分の孫のような年で自分よりデカイ選手に技を口で教えても誰も聞かないし、理解しようとしないらしい。
真剣勝負で実際に投げ落として、こうやってやるんじゃと上に乗っかってそいつを締めながら言って初めて聞く耳を持つらしい。
俺のセミナーも口でダラダラ説明してるだけじゃ多分つまらんし、誰も理解しないと思う。
実際の患者さんをその場で治療し、目に見えるような症状の改善と軽減を即効で見せてこそ、説得力のあるデモンストレーションになることは言うまでもない。
これからもスランプもあるだろうがもっと飛躍する技倆を身に付けられるよう精進するしか道はない。
道は自分が歩むとこだし、自分自身で決めるものだ。決めたからには前に進みたい。
迷っても少しでも前に前に進みたい。
鍼をおく時までそれは長く長く続く道だと思う。
今思うとそんな事の繰り返しの40年だった様に思う。
匠の道は一生続く、、、