今は亡き母に捧ぐ、
先月の夏のセミナーが終わり、次回は秋を予定していたが体調を考えて前倒しの夏の終わりのセミナーが昨日無事終了した。
海外からも応援に駆けつけてくれた。
柱、集結。
お弟子さんらと食事をして一緒に飲みながら古い話に花が咲いた。
鍼灸人生40年、セミナー活動20年のそれこそ、集大成だった。
18歳で鍼灸専門学校に入学してしばらく経った頃、ロサンゼルスオリンピックで彗星の如く登場し、金メダルをいくつも獲得した陸上選手が鍼治療をしたことがあるという記事を読んだ。
その時に全身に電気が走り、鳥肌が立ち、自分がしたいことに鮮明に落ちひしがれた気がした。
世界の檜舞台で活躍するスーパーアスリートを治療して金メダルを取らせたい。
その時俺はそのために生まれてきたんだと本気で思った。
若い頃の勘違いなんてよくあることだ。だが勘違いももし本気になれば、、、
その4年後のソウルオリンピックで俺は米国オリンピック陸上チームのトレーナー兼鍼灸師として世界にデビューした。
あの記事で読んだスーパースター、カールルイスを治療していた。
ジョイナーやウィリーバンクスなどいまだに破られていない世界記録保持者が普通に横にいた。
英語も喋れない俺をチームメイトとして仲良く遇してくれた。
カールがアメリカでスポーツ医学を学んでアスリート治療をしたらどうだと言った。
有頂天でおっちょこちょいな俺はそれを真に受けて留学してしまった。
たいして頭の良くない、英語も話せない、専門学校では落第点ばっかりの俺だったけど自分の夢だけには真剣に対峙していた。
それこそリスクだらけの挑戦だった。誰も前例がなかった。
ただアメリカ人には絶対に負けたくなかった。日本代表の気持ちだった。
他の誰よりも早くアスリート治療の夢に近づきたかった。
憧れの米国に於けるスポーツ医学ではトップの大学に入学してからそれこそ一所懸命に学んだ。
自分で言うのもなんだが成績がオールAでプレジデントリストとなり、奨学金も出た。
卒業して日本に帰国する予定だったけど、米国での鍼灸免許獲得のために大学院に通った。
学生だったしお金がなかったからそれこそ猛勉強して先に国家試験に合格したので大学院は卒業しないで飛び越す形でそのまま博士号に進んだ。
そこをトップで卒業したので教授に迎えられた。中野先生のアキュゾーン治療を博士号で教えた。
他の大学院からもお呼びがかかり、LA中の博士号で教えながらアスリートの治療を中心に開業した。
その頃から母国の鍼灸業界の低迷と収入の少なさに憂慮した。
みんなあんなに頑張ってるのにどうして何だろうと親友とセミナーや講演活動、米国研修を始めて業界の底上げをしようとした。
夏の暑い中、数々の専門学校を足でまわって革靴の中の血豆が破れてぐしょぐしょになりながら自己紹介をしたがアメリカの鍼灸師に興味はなかったようであまり成果はなかった。
ただその頃から博士号の他の教授の技も紹介しながらセミナーを年に2回日本で開催していくようになった。
最初のセミナーは五百円だった。
二人の新幹線代も出なかったのを覚えている。
あれから約20年、満席に次ぐ満席で約80人の受講生となった昨日のセミナーでは最後にスピーチを加え治療家の心意気を伝えた。
みんな真剣に聞いてくれていた。
俺も声が出ない中、必死に伝えた。
命を削った炎のセミナーが終わった。
全てを出し切り、やり切った感の中、弟子から花束をもらいスピーチを受けた。
走馬灯のように今までの思い出が頭をよぎった。
それは小さな夢から始まった一人の少年の物語だったに過ぎない。
ただいつも己との戦いだった。
敵はいつも己だった。
夢は逃げず、いつも逃げようとするのは自分だった。
それに打ち勝つための連続だったように思える。
一人の男子(おのこ)として生を受け、夢と目標全てを叶え、次世代にバトンを渡し、花と涙と笑顔で送られる。
これを幸せと言わず何と言おうか。
あの40年前の少年に会えたら言ってあげたい。
苦しいこと、辛いこと、楽しいこと人生には色々あるけど負けずに前へ進みな。
必ず嬉しい瞬間(とき)が待ってるよって。
Take先生、お疲れ様でした!
16年前、母校で初めてTake先生の講演を拝聴し、鍼ってこんなにもすぐ効果を出せるのかと衝撃を受けたことを昨日のことのように思い出します。
Take先生の技術を身に付けたい、この人のように結果を出せる鍼灸師になりたいと思い、鍼灸学校を卒業と共にすぐカリフォルニアへ語学留学に行ったのは間違いじゃなかった、Take先生の下で学べたからクルーズ客船という難しい場所でもしっかりと結果を残せたと思っています。
学んだのは技術だけじゃない。むしろ、それ以外のことを、人として、鍼灸師としての心構えや考え方を学ばせて頂きました。
今の私があるのは、Take先生との出会いがあったからです。とても感謝しています。
いつか師を追い越すことが弟子の役目だと思い学び続けて来ましたが、師匠の成長が凄すぎて差は開くばかりでした。
師匠と同じ鍼灸師歴になった時に少しでもこの差を縮められるよう今後も努力していきます。
集大成のセミナー受講を終え、寂しい気持ちでいっぱいです。
師匠の下で学べたことが当たり前ではないことを忘れず、師匠と出会えて、師匠の下で学べたことの幸せを噛みしめ、これからも日々の鍼灸治療で患者さんと向き合っていこうと思います。
ありがとうございました!
教えた技術より一緒に飲んだシャンパンやワインの思い出の方が頭に残ってるのを嬉しく思う。
しっかり親孝行をして、家族を大切にして、寄り添う妻を愛でてあげてほしい。
鍼灸の技術を通じて得た友人もかけがえのない宝になると思う。
世界を見てるMitsuだからこそこれからの日本をしっかり支えていってほしい。
老兵は死なず、ただ去るのみ
10年以上も前に先生と出会い、途中お会い出来ない時間がありましたが、勝手ながら今回のデモで全ての事に意味があったのかなとも思えました。
自分なりに必死でやってきた事が、先生の前で披露できた事に感慨深いものがありました。
今後は先生が懸命に築き上げた大切な事を私たちが全員で力を合わせて更に改良していき、鍼灸師の底上げに繋がるように頑張りますので、まだまだ不出来な事ばかりですが、これからも温かく見守って下さると幸いです。
個人的にはより多くの人に満足してもらえる治療が出来るように、これまで以上に励んでいきます。
これまで本当にありがとうございました。
先日自宅に治療に来てくれた時、触診された途端に全てがわかったような気がしたよ。
人知れず自分なりに咀嚼して理解して確立していった道筋が二人をつなげた感があった。
会えなかった数年はあの時に全て溶けて目が合ってお互い気持ちいい涙が出たよね。
師弟ってそんなもんだよ。いつも気にしてたし、これからもずっと見守ってます。
また治療しに来ておくれ。
この度は、最後のセミナー、誠にお疲れ様でした。
鍼灸に40年、そしてセミナーに20年という長きにわたり、ご指導いただいたことに心から感謝申し上げます。先生の最後のセミナーに立ち会うことができ、大変光栄に思います。
以前、先生から「私の後を継いでくれ」とのお言葉をいただいた時、自分には力不足であり、先生のようなカリスマ性も自信もないと、お断りしてしまったことを覚えております。しかし、今回のセミナーで先生の最後の言葉、そして薫先生や他の先生方の情熱と治療に対する真摯な姿勢に触れ、先生の想いを未来へと繋いでいきたいと強く感じました。
また、マサくんをはじめ、素晴らしい先生方との出会いは、先生のお人柄あってこそだと深く感じました。技術だけでなく、人として学ぶべき大切なこと。それら全てを、この最後の機会で見せていただけたことに感謝しています。
最後に、僕が今、アメリカで自分の人生を歩むことができているのは、ひとえに先生のおかげです。
本当にありがとうございました。
アメリカ研修で献体解剖学を学んだ多くの研修生は同じく当時アシスタントとして長きに渡り俺と一緒に指導した悟先生をきっと忘れないでいることでしょう。
教えるのは教わることよりより多くの情熱と知識、経験が必要とされています。教えることも学びであり、それが今後の経験として生かされることと思います。
後進の育成のない業界は廃れていくと言われています。俺は日本鍼灸でLAでTOP DOCTORとなり今日に至ってます。日本鍼灸が世界で通用することを実績で証明しました。
これからは悟の世代の活躍が望まれてます。日本の本当の凄さを世界に知らしめてください。若い有望な後輩を育ててあげてください。頼んだぜ!
タケ先生、ひとまず! おつかれさまでした。
15年前、私が鍼灸学生2年目の時に、先生が特別講師としていらっしゃったあの日。凄まじい衝撃がはしり、私の人生は大きく動きました。
なんなんだ!この人の生き方と治療への熱い思いは!!と。
そして、魔法のような鍼で、バシバシデモ患者さんの痛みをとっていく姿に、ホンモノを感じて。
その後、先生のいらっしゃる控室に押しかけると、アメリカ鍼灸の実態を丁寧に教えてくださり。
美容鍼灸でやっていこうと思っていた私は、路線変更をし、鍼灸学校卒業後、アメリカにいく!と親をびっくりさせたこと、今でも覚えています笑
タケ先生を通して出会わせていただいた技術もそうですが、人、遊び、ここでは書ききれないほどの貴重な経験の数々は、人生の宝物です。
私が鍼灸から離れていた期間も、懇親会だけでもこい!と繋ぎ止めていてくださったこと。人生相談をするにピッタリな兄弟子達に出逢わせていただいたこと。感謝してもしきれません。
正直、なんで人生をかけて人を救ってきた人が、こんな試練を与えられるんだ!!と、あたるところがない悔しさでたまりません!!
でも、先生の現状を通して、治療者として、人として、親として、、学ぶことがたくさんある気もしています。というか、なんでもいいから学び感じてやろう!!と思っています。
先生の、常に受け入れてくださる柔軟性と包容力、昭和の男の生き様。これからも、近くで感じさせてください!まだまだ私たちにはタケ先生が必要です。なので、ひとまず!おつかれさまでした。今後ともご指導のほどよろしくお願いします。
ありがとう、Mayu.
みんながいてくれたから楽しいセミナーだったし、続けられたんだと思うよ。
大丈夫だよ。これからもしっかり見守っていくよ。
”老兵は死なず、ただ消え去るのみ”