オリンピックにはパラリンピック(身体的障害を持っている人対象)、そしてスペシャルオリンピック(知的発達障害のある人対象)というのがある事、ご存知ですか?
学生時代に語学留学先のアイオワでお世話になったハウスメートの米国オリンピック女子バレーのネルソンコーチの紹介でこの大会、日本陸上チームのトレーナー&通訳の仕事を頂きました。
蒸し暑い米国中西部の夏、このスペシャルオリンピック開催で世界100カ国以上の国から6000人という大勢の選手が参加、ボランティアもその倍以上で特別バスもかなりの台数となり街は人の興奮と熱気でごった返していました。大会セレモニーはプリンスやオリビアエステファンなど普段ではまず見れないスーパーコラボ(トレーナーやってて良かったぁ!)、当時のトップスターが何組も出演し僕らも観客席から歓喜な大声援を送ってました。それにしても花火や仕掛けや舞台演出に凝った凄いセレモニーでした(写真上)
これは今からちょうど30年前、1991年夏、ミネアポリス/セントポールで開催された第8回スペシャルオリンピック世界大会での泣き虫トレーナーとある選手の小さな小さなお話です。今回の東京オリンピックで縁の下の力持ちとしてチームを支えたトレーナー、治療家、大会を支えたボランティアの方々、そして素晴らしい感動をくれたアスリートに感謝したいと思います。
頑張れ、日本!
僕が担当したのは日本陸上チーム、主に短距離選手4人でした(写真上)。中でもメダル候補のYujiは毎日毎日その為に練習を重ね、今大会に備えていました。自信もあってか練習終わった後の夕食でも彼は笑顔で僕に話しかけてくれました。
“俺、明日のレースで必ず一番になるんだ”
“うん、Yujiの足だったらとれるだろ、メダル”
“その為にアメリカまで来たんだからね”
“応援してるよ、頑張ってな”
翌日、レース前、緊張はしているものの笑顔で普段どおりだった彼は僕にVサインを送ってレースに挑みました。結果は1位。やったね!
みんなに拍手で迎えられて帰って来ました。だがその直後、、、
レース後の審判からアナウンスがありました。
何と彼が斜行(他の選手の走る前を邪魔したという理由で)失格になりました。
何と言うことだろう。みんな信じられないという顔で先程の盛り上がりが嘘の様に静まり返っていました。彼は泣きじゃくって、泣きじゃくって、泣きじゃくってずっとずっとずっと泣いていました。誰に慰められても、、、ただ泣いていました。彼は神様からとてつもなく速い足をもらいました。でも少しだけ自分の情緒をコントロールすることが苦手でした、、、ほんの少しだけ。
結局案外仲が良かった僕ですら一言も話せず、その夜は宿舎に帰りました。
トレーナーとしてメンタル面でも選手を支えたい。そんな気持ちがあっても彼は誰にもその晩は心を開いてくれなかった様に思えます。少なくとも僕には彼に近づけないような、それは駆け出しトレーナーの僕が勝手に感じてただけの何かだったのかも知れません。でも僕にはどうしていいかわからず、ひとり気を揉んでいました。
何となく後味の悪い一日でした。でも自分まで落ち込んでいてはチームの雰囲気が悪くなるのでどうにか平静を保って、普通に振る舞っていました。それでもチームのエースの失格に僕ら日本チームは沈んでいました。選手だけでなく親御さんや家族も一緒の夕食でした。結局、僕は食欲がなく、帰りのバスを待つ時に近くのサブウェイでサンドウィッチを買って1人食べました。なぜか一番動揺していたのはまだ若く未熟なトレーナーの僕だったのかもしれません。
明日はスペシャルオリンピック最終日。
各国対抗400メートルリレー。
日本チーム最後のメダルチャンス。
つづく