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あなたへ

金蘭之契

 

 

百二十年前、丙午(ひのえうま)の年に祖父はこの世に生を受けた。
その六十年後、同じ干支の巡りの丙午に私は生まれ、
さらにまた六十年を経た今、愛らしき孫娘が産声をあげ新しき命の音としてこの世に響く。
六十年という天の環が三世代を結び、
ひとつの命の旋律が、静かに時を超えて響いている。

この天の環はまた何年も歳を重ねながらゆっくりと繰り返していく。命(めい)に永遠(とわ)はない。変わらないのは出る(いずる)喜びと、消ゆる言の葉に載せがたき哀懐(あいかい)だけだ。

 

 

敬愛する祖父・吉藏、そして可憐なる孫娘・桜菜へ、そして最愛のあなたへ捧ぐ。

 

 

上海残照

港は人と荷と馬車とで沸き立ち、
怒号と警笛とクラクションが渦を巻く。
終戦の夏、引揚船を待つ群衆のざわめきの中、
吉藏は余の車の助手席で不安を押し隠しながら、
静香と幼き智香子を振り返った。支那人の炯々(けいけい)とした目に囲まれ、多くの日本人の荷が鎖鎌のようなものでなすすべもなく奪い取られていた。

外国人も、日本人も、
皆がそれぞれの「帰る場所」を求めて押し寄せていた。
しかし、帰るとは何か。
祖国とは、ただ地図に在る場所なのか。また地図には時も存在するのか。

吉藏の車を取り囲むように、
社員たちは沈黙の盾となって立ち、
支那人の鋭い眼差しが群衆の奥から光る。
だが誰も手を出さなかった。
それは恐れではなく、敬意であった。

 

 

十六の春に武漢三鎮へ奉公に出て、その後に上海に出た吉藏は、
その若き日より多くの支那人と真心を交わした。
栄華洋行――彼らが共に築いた貿易会社。
馬賊に襲われ、時に飢え、
それでも絹を積み、海を渡らせた日々。

別れの宴は、上海三角市場近くの小さな食堂で催された。瞼に灼きついた一齣一齣を、生涯忘れることはないだろう。

戦いが国を裂いても、友情という聖域(サンクチュアリ)は侵せない。不可奪の至宝であり国を超えても、歴史を超えても、それは変わることはなかった。
金にも代えがたく、時を越えてなお香る蘭のごとくあった。

万感の思いを込めて出航の汽笛が鳴る。
船はゆっくりと白いケープを引きずるかのように青春の街を遠ざける。
見送る者も、見送られる者も、
言葉を失い、ただ瞼にその刻を焼きつけた。

昭和20年、夏。
眦の涙を拭いながら吉藏は永遠に帰ることはないであろう上海を後にした。

 

エピローグ

時の流れは、時代の闇に葬り去られた歴史の匣(はこ)をひとつひとつ丁寧に繙いていく。

 

高校の頃、日中国交が回復し、私は祖父母と上海を訪れた。
人民服に埋め尽くされた街、自転車の群れ。
高級ホテルの食卓には蠅が舞い、
ポラロイドカメラを向ければ群衆が押し寄せた。

 

祖父は窓の脇の樋間(ひあい)から僅かに滴り落ちる雨を見つめながら、これもまた時の流れだと呟いた。

闇市の奥の奥、
祖父の旧友・余(既に故人)の息子が案内したその店の中華は、
まるで記憶の味が甦るように芳しかった。ホテルの配給の食事とは比べものにならなかった。配給品と闇品の違いだった。

握手を交わす二人。
祖父は静かに袋を差し出した。
中には百万円。
当時の中国では、庶民の一生分に匹敵する額だったという。

 

千里同心不為遠,

義重金蘭契自堅。

春風共笑秋月賞,

知音一遇値千年。

 

「千里を隔てても心を同じくすれば遠くはない。
義を重んじ、金蘭の契りは自ずと堅し。
春の風に共に笑い、秋の月を共に賞す。
真の知音に逢うは、千年に一たびのこと。」

 

祖父の声が、今も耳の奥でかすかに響く。
その声は、時を超えて金のように堅く、
蘭のように香る。

かくして三代の縁(えにし)は、時の海を越えて、
今なお静かに息づき、
そして続いていく。

 

 

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